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意識的に生きること〜グルノートから

グルノートの有効性、気づきには驚かされる。

気づきがほら、そこにも、と言う風に現れてくる。

認知科学を実践していた私としては方法論として大いに取り入れても良いと思える。

今回は感情と行動についてである。

>だからこそ立ち止まり、意識的に生き、意識とのつながりを感じ大事に生きてほしいのです。(佐野 直樹. インド式「グルノート」の秘密 ((p35/152 Kindle )Edition.)

この「(他人との)意識とのつながり」についてはまだ、実感が全くない。

しかし、「意識的に生きる」ことについては実感が出てきた。

本当に私は自分の人生の主人公であろうか。主体的に生きていただろうか。そう問いたくなる。

それは、グルノートを数日書いていて気付いたことであった。

ディクシャで達成した感情を、スワダルマでゴールに向かうための行動とともに左下に書く。

例えばこれまで私の感情については誇らしい、清々しい、ウキウキするが多かった。そういう気持ちを実際に心の中に想像して、書くことが多い。それらの感情を、理想を叶える行動をするときに抱くのだ。

この欄に書いた行動はやったりやらなかったりだ。書いたこと全部出来たらそりゃ悩みもないし、実際やっていることに感情を入れてもいい。

ここからが気付いたことである。

先日職場で、夕方になって疲れていて、コーヒーも飲む気持ちになれず、自分のデスクでだらっと、目の前をじっと凝視しているような状態であった。その数分後、次の予定があった。だからそれまでこも状態で休みでも良いと思っていた。

そこで、ディクシャで書いた、誇らしい、清々しい、ウキウキするという気持ちを持つと急に身体が元気になってきて、短い間ではあったものの、思わず本を読んで過ごしていた。

これはなんなんだ。

意識は内側から合成させる、作れと言うことではないか。多くの仕事をこなした後の疲労感は本物か。少し拡張して考えて、私達は誰かに何かを言われて凹んだり、逆に有頂天になったりと、環境に振り回されていないか。

あくまでも、自分から感情を作りだすことで、行動に力がみなぎるのではないか。

それは単に頑張るのではない。「こうあるべき」という感情も予めきめられていもない。ディクシャで描いた自分の感情を行う作業、状況に合わせて適切に選んで使うことが肝要だ。

感情を自分のなかから生み出すことで、自らの人生をコントロ−ルすることができるという実感がわいてきた。

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