- バックリンクという甘美な機能
CosenseやObsidianといった現代のナレッジツールには、「バックリンク」という強力な機能が実装されている。
これが何かといえば、あるキーワードでリンクを生成した瞬間、過去に同じ用語でリンク設定していた文章がずらりとリスト表示される機能だ。
「忘れていた過去の記述」が、今書いている文章と密接に関連しているかもしれない——その可能性をシステムが提示してくれる。これは確かに素晴らしい機能だ。そこにセレンディピティ(予期せぬ発見)が生まれ、新しい発想やアイデアが連鎖していく。
- Google Driveには「それ」がない
一方、Google Driveにはそういった自動的なリンク機能はない。文字通り、いちいち手作業でリンクを張るしかない。
この点を指して「不便だ」と嘆くことは簡単だ。そして、「システムが自動で結合を提示してくれない以上、セレンディピティが生まれないのではないか」と懸念するのも無理はない。
- ルーマン氏は偉大な「ブックメーカー」である
しかし、ここで立ち止まって考えたい。私が目指しているのは、便利なツールを使いこなすことだったか?
いや、違う。私の目的は、データを詰め込み、それを上手に組み合わせて「プロダクト(原稿)」を世に送り出すことだ。
ニクラス・ルーマン氏は、生涯で70冊以上の本と400本以上の論文を書き上げた、文字通り偉大な「ブックメーカー(本を作る人)」であった。私も彼のように、システムを使って膨大な著作を生み出す生産者になりたいのだ。情報を綺麗に整理整頓することは、そのための手段に過ぎない。
- 「手動」こそがセレンディピティの源泉
ルーマン氏は、「自分が探していたものとは違うものが見つかること(セレンディピティ)」や、「システムが予想外の組み合わせを提示してくること」こそが、Zettelkastenの真価だと述べている。彼が言う「驚き(Surprise)」とは、「番号を振るためにカードをめくる」という物理的な動作、あるいは「内部の分岐構造(ナンバリングによるリンク)を自ら辿る」という過程において、予期せぬ情報と出会う体験を指している(Kommunikation mit Zettelkasten p222-228, Ein Erfahrungsbericht Niklas Luhmann)。決して画面上に自動表示されるリストのことではない。
- 結論:不便を歓迎せよ
つまり、「いちいちカードをめくる」動作や、何かを見つけて「いちいち手動でリンクを設定する」という泥臭いプロセスそのものが、脳内での再検索を促し、セレンディピティを引き出すトリガーとなるのだ。
便利すぎるバックリンク機能は、この「思考の摩擦」を奪ってしまうかもしれない。だからこそ、Google Driveにバックリンク機能がないことを嘆く必要はない。手間暇をかけて自らリンクを張る行為こそが、私の脳と外部脳(Drive)を真に接続する儀式なのだから。


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