Scrapboxで頻尿について調べている。
古典医学を紐解くと現在到底我が国で保険薬の範囲内で使えない生薬もある。また、使用経験がある生薬でも保険外薬ならば薬局に在庫の確認が必要になるのでこれも使いにくい。
それでも、頻尿治療バージョンアップ版はもう少しで、仕上がる。ほとんど迷いなく。
標準的(らしい)和漢から中医学、古典医学まで触手を伸ばしていった。
その中で気付いたのは皆勝手に言っているなということだ。
それと同時に私自身が勝手に言っていたなと。
やはり東洋医学の世界は広い。
東洋医学の世界に標準治療というものはない。
一見そうとみえるものも確かにある。
しかし治方を過去に遡り、理論や治療経験を紐解けば必ず別のヒントがある。
先人たちが苦労して編み出した、方剤とそれを裏付けようとする理論が、あるで暗闇の先の灯火のようにぽつりと照らしていたりする。
これがとても面白い。
だから探し回った結果、その行為そのものが面白くなっていく。
そのうちもともと調べ始めた内容よりも、理論を調べる方がより優先順が高くなる。
最終的にはああ、面白かったと終わってしまう。
その時はもう、調べ始めた時、何が問題になっていたのかは、覚えているものの、さして重要ではなかったと記憶の隅へと片付けられる。
今回でいうところの、「頻尿治療」を調べるという目的が消えてしまうということになる。
自分なりの標準治療をまとめられず、逃げていることすら忘れて。
あくまで私の場合のことであるが、盲目的に調べるとこのようなことになる。
だから、命題から逃げずに意識し続け、少しずつ解決し、その過程で散らかしていく新しい着想を記録しながら書き付けていくためのシステムが必要だ。
多分それがScrapboxなんだろうな。
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